牛久の歴史

牛久ってどんな街

時が流れても変わらないモノが牛久にはある。スロータウン牛久市。

東京にスカイツリーがあると言うなら、牛久には大仏があります。しかも世界最大120m ギネスブックにも登録されています。

スカイツリーはいずれ記録を抜かれることも予想されますが、牛久の大仏はなかなか抜かれることは無いと思います。
なぜならこれだけ大きいのを作ろうとは考えないのが普通です。

因みにニューヨークの自由の女神は40mです。

拝観料を支払えば胎内にも入ることができて、最上部からは広大な霞ヶ浦を望むこともできます。
ここでしか手に入らない大仏ストラップなどお土産も買うことができます。一部の間では、パワースポットとしても人気がある様です。

横浜に赤レンガ倉庫があるというなら牛久にはシャトーカミヤがあります。

シャトーカミヤは1903年 日本初の本格的ワイン醸造場として誕生しました。赤煉瓦つくりで横浜赤レンガ倉庫と比較しても引けを取らない作りです。

テレビドラマ「花ざかりの君たちへ」2007年でロケ地として使われました。「堀北真希、小栗旬、生田斗真、水嶋ヒロ、)今考えるとすごいメンバーですね。

中ではワインの瓶詰と地ビールの生産を行っており、ワインとシャトーカミヤ産の地ビールを飲むことができます。

2008年に国指定重要文化財に指定されました。

牛久かっぱ伝説(小川芋銭の世界)

日本全国かっぱ伝説はありますが、かっぱの絵をたくさん描いている日本画家が住んでいたのは牛久市のみです。

しかもその絵は「発見!なんでも鑑定団」で高値で査定されるほどの人気ぶりです。牛久沼周辺には小川芋銭研究センターをはじめ、晩年を過ごした雲魚亭、河童の碑など散策することができます。

日本初のワイン醸造場「シャトーカミヤ」

全長120メートル越えの「牛久大仏」

牛久市の自然スポット「牛久沼」

近世(江戸時代)

江戸時代の牛久沼周辺

江戸幕府が開かれると250年以上にわたる平和と繁栄の時代が訪れる。牛久沼周辺においても信太郡には仙台藩領、牛久藩領、河内郡には幕府直轄領、谷田部藩領、相馬郡には相馬藩領と幕藩体制が築かれていた。幕府は政治的中心の江戸と全国を結ぶため、東海道や日光街道など五街道の他にそれに準ずる重要な街道を脇街道と称して、多くの街道を整備した。

龍ヶ崎・牛久方面を通過する水戸街道はその脇街道の一つで、特に徳川御三家の水戸と江戸を結ぶ重要な街道と考えられていた。そして当地方においては藤代宿、若柴宿、牛久宿の宿駅が設けられていた。その中でも牛久宿は水戸街道の真ん中にあたり、規模も比較的大きく、宿場の負担の増大が引き起こした農民の反乱、牛久一揆は郷土史の重要な位置づけである。

一方幕府は、生産力を上げるため、治水や開墾を奨励した。伊奈忠治の利根川の開削や小貝川の治水は見事に成功したが、桜井庄兵衛の牛久沼の干拓等は惨めな結果に終わった。このように牛久沼周辺においても、農地の開墾が盛んに行なわれた時代であった。

仙台伊達藩龍ヶ崎村は主に江戸仙台藩への食糧供給の中継基地として栄える。山口藩牛久村は水戸街道の宿場町として栄え、両村とも当地方の経済・文化の中心的存在であった。

江戸時代も後半になると生活・流通の変化、商品生産の拡大が、米を中心とした農本主義の経済方針と合わなくなり、財政難や農村の困窮を招いた。その上に、海外からの圧迫が拍車をかけ、ついに各地の尊皇攘夷派が幕藩体制打倒のため行動をはじめた。水戸藩の尊皇攘夷派が筑波山に集結、挙兵した天狗党の乱も、このような世情の中で起こった。慶応3年(1867)の大政奉還により、時代は明治へ移り近代化の時代へ向けて突っ走るのである。

近・現代

概 略

明治維新の廃藩置県によって、牛久沼を囲む県の構成は次のようになった。

龍崎県(龍ヶ崎市)、牛久県(牛久市)、若森県(伊奈町、つくば市の一部)、葛飾県(藤代町)。そして、明治4年の廃合により、龍崎県、牛久県、若森県は新治県に統合され、葛飾県は印旛県に統合。更に明治8年には、新治郡は茨城県に統合。

葛飾県は利根川以西が千葉県に、利根川以東が茨城県に分割統合となり、現在の都道府県が確定した。

牛久沼周辺は総て茨城県に属することになった。


明治5年水戸街道は陸前浜街道と改称され、その後牛久沼東岸沿いに新道(現在の国道6号線とほぼ合致)が開通。このことにより迂回路にあたる若柴は宿駅の機能を失う。
明治10年津田農場を主体とした女化原の開拓事業開始される。
明治17年明治天皇、女化原で行なわれた近衛砲兵実弾演習を天覧。このため牛久沼畔の陸前浜街道は臨幸道として改修された。
明治29年土浦経由水戸~東京間鉄道全通し、同時に牛久駅、藤代駅ができる。同年平安時代より続いた信太郡、河内郡は廃止となり稲敷郡となる。
明治32年(1899年)龍ヶ崎鉄道株式会社が設立され、翌年龍ヶ崎~佐貫間が開通し、それと同時に常磐線佐貫駅が開業する。
明治36年初代神谷伝兵衛、日本初のワイナリー牛久シャトー(シャトーカミヤ)を建築。 大正時代、周辺の町には電灯がともり、ガスがひかれ、道路の舗装工事が始まり、まさに大正ロマンの時代。反面、民主主義運動と絡み合って農民運動が盛んになり、地主対小作人の争いが絶えない時代でもあった。
昭和10年住井すゑ、夫(犬田卯)の郷里牛久に移住。城中の牛久沼畔にて文学活動を始める。
昭和13年日本画の小川芋銭逝去。その後アトリエは小川芋銭記念館「雲魚亭」となる。
昭和16年(1941年)太平洋戦争勃発。国民総力を挙げての食糧増産と軍需生産体制に入り、当地に於いても軍需工場が建設され、戦車砲弾等の製造に従事した。
昭和29年(1954年)3月龍ヶ崎町・大宮村・八原村・長戸村・馴柴村・北文間村に北相馬郡川原代村を加え、8町村の合併による龍ヶ崎市が誕生。
昭和38年(1963年)筑波研究学園都市の建設が決定し、その建設の範囲は筑波町、大穂町、豊里町、谷田部町、桜村、茎崎村に及んでいる。
昭和42年日本住宅公団によって竜ヶ崎ニュータウンの建設が決定。昭和57年分譲開始。
昭和60年科学万博つくば'85開幕。翌61年久市が誕生。
昭和62年(1987年)大穂町、豊里町、谷田部町、桜村が合併してつくば市が誕生。
平成9年(1997年)住井すゑ逝去。
平成14年稲敷郡茎崎町はつくば市に吸収合併する。
平成18年俗にいう平成の大合併によって、藤代町(北相馬郡)は取手市に吸収合併。伊奈町(筑波郡)は谷和原村(筑波郡)と合併しつくばみらい市となる。これにより牛久沼周辺の自治体は龍ケ崎市、牛久市、つくば市、取手市、つくばみらい市の5市となる。

牛久が誇る日本画の巨匠、河童の絵でおなじみの小川芋銭の世界

牛沼秋意(ぎゅうしょうしゅうい)
河童百図 第51図 観音妙智力
河童百図 第65図 カッパ
河童百図 第76回 遊戯三昧
河童百図 第83回 鳰の浮巣
河童百図 第92図 驪龍の珠とカッパ
遠山近水
河童百図 第96回 網にくるまる
鍾馗図(しょうきず)
水國小春(すいこくしょうしゅん)
カッパの戯れ
作品名など
※引用元:上記テキスト情報は「牛久沼ドットコム」大地のえくぼ様より引用しております。
[http://www.ushikunuma.com/rekishi/03.html]
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